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なめこアヴェニュー

立ち話


今日の午前中は近場の用事がちょこちょことあったので
歩いてその辺を回ったのですが。

まー人に会う会う(笑)

1時間半くらいで4人にバッタリ出会い、いろいろと立ち話をしました。


そのうちの1人は草野球をたまに一緒にプレーした知り合いで、
震災以来初めて会ったのですが、

 ・「こちらは歩き、向こうは車(信号待ち)」で遭遇
 ・20分後、両方歩きで会う。で、立ち話。
 ・さらに1時間後、こちらが車で運転中に見かける

ということで、会うときはずいぶん会うものだなと思いました。


その他、今春から異動で戻ってきた同級生や、
中学のときの先生、高校の同級生などと立ち話。


なんか、立ち飲み屋に行きたい感じでした。



【速報】今日のごはん


~今日のごはん~

<朝食> コンビニのペンネ(もらいもの)

<昼食> かけそば

<夕食> 食パン、ポテトサラダ、野菜、みそ汁



今日ご飯粒を一粒も食べてない! 珍しい!!


保険は大事


最近、巷で聞く話題のひとつに

「地震保険に入っていたか否か」

があります。


【地震保険支払総額、9700億円にのぼる見込み】
(YOMIURI ON LINE)


ちなみに、ウチは僅かばかりですが入っていました。

鑑定の人が来ていないのでまだわかりませんが、
保険屋さんの話だと「0ってことはないでしょう」ということで、
いくらかは下りるのが濃厚。良かった良かった。

知り合いでも入っていた人あり、入っていない人あり、悲喜こもごもです。


中でも痛恨と思われるのが、知り合いの知り合いの保険屋さん。
漏れ聞く話だと、お客さんには地震保険を勧めておいて、
自分では入っていなかった模様。

その方はおそらく全損か半損査定だったろうに、
入っていなかったので0です。

ってか、自分が入ってないとダメでしょう。(;´Д`)


ところで、地震で起きた火災による被害って、
火災保険では保障されず、地震保険が必要なんだそうです。

火災保険に入るときは、特約で地震保険にも入っておいた方が良いですね。


かぶるって何?


数日前のこと。

仕事で出かけようと車に乗り込み、エンジンをかけようとしたら、


 クインインインインインイン…

 クインインインインインインインインインイン…



エンジンがかかんないじゃん!!!! (;´Д`)


取りあえず、直後の仕事は歩いて行ける場所だったので歩いて済ませ、
戻ってきて「もしかしたら…」ともう一度かけてみましたが、

 クインインインイン…

やっぱりダメだ orz


とりあえず、車が動かないことにはその後の調査も打ち合わせもアウトです。
焦りに焦りました、正直。


しょうがないので、アウトになったときの対応を考えつつ、
JAFの会員証をカード入れから探して、電話しました。(←通算3度目)


5分後くらいに来たJAFの人(委託業者の人)が車に乗って、エンジンをかけてみると…


 クィィィ…、ガーーーー! ブルルルルンっ

かかった!!! ヽ(゚∀゚)ノ


しかし、なぜすぐかかった!?
まるでこれじゃ、狼少年みたいです。


聞いてみたら、「かぶっていたんじゃないですかねぇ」とのこと。

しかし、「かぶる」というのが何なのかわかりません(笑)

これも聞いたら、
「点火プラグがどうとかあーとかで、まぁかぶっていてですね(後略)」

ということで、結局「かぶる」が何なのかよくわからないまま終了となりました。


それにしても、JAFってありがたいものですねぇ。






児玉さん死す


数日前、俳優の児玉清さんが亡くなりました。

残念ですねぇ。アタック25の司会ももう見られません。


アタック25って、僕らが生まれる前からやっていたんですよね。
だいぶ長いですねぇ。もう35年だそうですから。


岩手で放送が始まったのは、確か僕が小学生くらいのときだったと思います。

当時、僕は「三枝の国盗りゲーム」というクイズ番組が好きだったのですが、
その「国盗りゲーム」が終わりになり、アタック25が始まりました。

「ちぇっ、何だよこの番組! てか、児玉清って誰だ??」って思った記憶があります。
まさか、今まで続く番組になるとは思いませんでした(笑)



俳優としてもいろんな作品で見た児玉さんでしたが、
結構印象に残っているのは、ラジオの「テレホン人生相談」です。
別にいつも聞いてるわけではなく、車で移動中にたまに聞く程度なのですが。

パーソナリティーや回答者によっては、
「そんな言い方ないんじゃないの?」っていうくらいに、
相談者を責めるような口調で話す人もいます。
(あと、「それはあなたの決めつけじゃないの?」と言いたくなるような人もいる)


でも、児玉さんはそういう話し方をしない人でした。
話をじっと聞き、ポイントポイントで静かに言葉を挟む。

歩けない人をムリヤリ掴んで歩かせるのではなく、
横からそっと手を添えるような話し方。

人から相談を受けるときや、話の交通整理をするときは
こういう感じが良いんだろうなぁ、と思ったものです。


どことなく知性を感じさせる雰囲気など、
「こういう歳の重ね方をしたい」と思う人も多いんじゃないかと思います。


あって良かった



震災直後の生活を思い出すと、とにかく不便だったという印象です。

とにかく、ライフラインが全滅です。

ウチで復旧したのは、

 ・水道…3日後
 ・電気…9日後
 ・ネット…2週間後
 ・固定電話…半月後

でした。

でも、ウチらのところは被災エリアの中でもまだ良かった方です。
まだ復旧していないところもありますからねぇ。
ガスが使えたのも大きかったです。



そんな中、「あぁ、これがあって良かった」というものもあります。

一番あって良かったのは

 七輪と木炭

でした!


停電が続いているので電気を使う暖房は使えず、
灯油も不足気味なので、反射式ストーブもガンガンとは使えません。
プロパンガスも替えが無いかもということで、こちらもあまりは使えず…。


そんなとき、1年くらい前に買って、1回も使っていなかった七輪が救世主になりました。

まぁすごい。そこそこ暖は取れるし、ものは焼けるしお湯も沸きます。
トーストも焼けるし、汁ものも作れるという。

木炭は数十年前からウチの土蔵にあるという木炭が一俵あったので、
(本当に俵に入っていたらしいので、一「俵」で間違いなし)
それを惜しげもなく使いました。


ああいうときというのは、アナログな道具であればあるほど強いなぁと思いました。



電気もガスも元通り使えるようになって、七輪の出番はなくなりましたが、
「そういえば」と思い出し、今日の夜は椎茸とウィンナーを焼いて食べました。

おいしかったです。特にウィンナー。
ビールによく合いました。


それぞれの3・11


「あの日」

今ウチらの地方でこう言えば、ほぼ2011年3月11日を指すといっても過言ではありません。

震災後、いろんな人に会ってあの日の話を聞くと、
まさに千差万別、それぞれの3・11があったことがわかります。


で、僕の3・11。


あの日は隣の山田町の船越半島に仕事の用事があり、2時半過ぎまで船越にいました。
で、調査が終わり、国道45号を北上。

山田の中心街を抜けたところで緊急地震速報が鳴り、
その直後、運転していても明らかに異常だとわかる強い揺れを感じました。

揺れが収まるまで道路脇に停車したのですが、その場所はすぐ横が海。
「ここは津波が危ないぞ…」と、一目散に北上し、山の中の駐車帯まで移動しました。


ラジオでは「大津波警報が出ているので海岸には近付くな」の繰り返し。

国道も通行止めになったため宮古に戻ることができなくなり、
結局、臨時閉店したコンビニの駐車場で一泊する羽目になってしまいました。


あの日の夜はとにかく寒いし長かったなぁ。
携帯電話も通じず、周囲は停電で真っ暗、お腹は空くし、喉は渇く。

車の暖房をガバガバ使っているとガソリンがなくなりそうなので、
極力エンジンはかけず、薄いタオルケット1枚で寒さをしのぎました。
(でも、1枚あると無いでは雲泥の差です)

この間、することもないので車のラジオを聞くんだけど、
聞こえてくるのは「○○地区被害甚大」とか、恐ろしい情報ばかり。
寒さが2倍3倍になるような感じがしましたね。


結局、朝まで寝たり起きたりしながら車の中で過ごし、
翌朝、たまたま持ち歩いていた住宅地図を見ながら迂回路を通って帰りました。

戻ったときにはまぁホッとしましたね。
ホッとした以上に、街中の惨状に愕然としましたが。。。



あのとき国道45号を走っていた人は、多かれ少なかれ危険な状況だったと思います。

僕も、仕事の用事があと10分でも長くかかっていれば、
今はもう跡形も無くなってしまった山田の街で、津波にぶつかっていたことでしょう。

郵便局勤務の人の話だと、
街中の国道は避難しようとする車で渋滞になり、
「早く動け」のクラクションがけたたましく鳴っていたそうです。

僕も、ひとつ間違えば鳴らす立場になっていたかもしれません。
それを考えると、こうして無事だったのは非常に幸運だったと思います。本当の本当に。


こっそり再開

2ヶ月の沈黙を破り、ついに再開!


というほど大げさなものでもないのですが、地味に再開してみます。

仕事の異常な忙しさがまだまだ続いているので
以前ほどの更新ペースにはならないと思いますが、
まぁ適当に更新していきたいと思います。


いやまぁ、震災から2ヶ月。
長かったような、短かったような。

確実に言えるのは、「震災前の日常」が無くなってしまい、
もはやそれがどんなものだったかも、すぐには思い出せないことです。
それくらい、あの日を境に環境が激変してしまいました。


「以前の日常を取り戻す」ことはきっとできないでしょう。
できるとすれば、「新たな日常を作り出す」ことです。

ひとつひとつ、できることをしていきたいものです。


以降、震災関連の記事もちょくちょく出るかもしれませんが、
読みものだと思って読み流していただければ幸いです。(´∀`)


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